プログラミングプランナー『ゆーや』のプロフィール

はじめまして!『ゆーや』こと、石川祐也(いしかわゆうや)と申します!

私の職業はプログラミング講師です。主な活動として、スキルアップ教材「PHPHacks」や共同開発講座の運営などをしており、累計指導実績はありがたいことに150名を超えています。

大学4年次の2019年に、教育事業として「クエストアカデミア」を開業。

現在、私が経営しているエンジニアリングチーム「私立探求学園」では、2019年に立ち上げてからの1年間で、独立成功者4名、転職成功者16名を輩出することができています。

私は自身の手で価値あるものを創り出すことがとても好きです。そして向上心を持って挑戦する人が大好きです。心から応援したい、力になりたいと考えています。

私がこのように思うようになったきっかけは、自分の生まれ育った環境にありました。

今回は

・プログラミングコーチ『ゆーや』の生立ち

・プログラミングを通じて夢を叶えた話

・『ゆーや』が挑戦する人を応援する理由

をお話しします。最後まで読んでいただけると嬉しいです!

プログラミングコーチ『ゆーや』の生立ち

私は福島県二本松市という田舎町に生まれました。家から最寄り駅までは10 kmもあり、初めて電車に一人で乗ったのは中学3年の時です。隣の家も遠くコンビニすらない環境が、当時の私にとっては当たり前でした。

小学校時代は友達の家が遠くて遊ぶ機会も少なかったため、記憶に残っている思い出も少ないです。ただ、小学校の先生からは「あの子のこと気にかけてくれない?」と頻繁に声をかけられていたことは良く覚えています。今思えば、この時から周りに目を向ける習慣が身についていたのだと思います。

理不尽な現実に向き合った中高時代

中学校に入学してからは、部活で副部長を務めたり、3年生の時には生徒会長を務めるなど、気付けばみんなのまとめ役に徹することが多くなりました。

私がそんな中学生活を送っていた2011年3月11日、あの東日本大震災が起きました。私を取り巻く環境は一変し、特に地震による原発事故の影響は想像を絶するものでした。ただ福島に住んでいるというだけで、生活が制限され、他府県の人から差別的な視線を向けられたり。何も悪いことはしていないのに、誰もが当たり前にできることが許されない現実に絶望しました。

私はこの被災経験を通じて、「自身で選ぶことができない環境によって、将来の可能性が狭められるのはおかしいのではないか?」という漠然とした疑問を持つようになりました。

希望を与えてくれた高校時代の恩師

理不尽な状況を打開するには、自らの力で環境を変えなければいけない。そう考えた私は大学受験に向け、必死に勉強に励みました。福島には有名な予備校もないため、情報を得るのが難しく、地理的不利を大きく感じながらの日々でした。

中学時代に理科研究にも取り組んでいた私は,科学分野に興味を抱き、SSH指定の高校に進学していました。SSHとはスーパーサイエンスハイスクールの略称で科学教育により熱を入れている学校のことです。私は素晴らしい先生方に恵まれたこともあり、「科学の甲子園」や「物理オリンピック全国大会」などの華々しい舞台に出場することができました。このような機会を与えてくださった先生方には、今でも本当に感謝しています。

しかし全国の人と出会う中で痛感したこともありました。都市部にはこんなにも成長の機会が整っているのか。故郷には全くといってないのではないかと。目に見えにくい”格差”を明確に認識した瞬間でした。

今度は自分がそういった機会を与える人間になりたい。そのために教員になりたいという夢を持った私は、勉強できる環境を求め東北大学に進学します。

初めてのビジネス経験とプログラミングとの出会い

大学生になった私は、高校生のキャリアを支援する活動に携わるようになりました。少人数での活動でしたが、高校生から直接感謝の言葉ももらうため、とてもやり甲斐を感じていました。しかし、1つの学校で1回限りのイベントとして結果的に終わってしまうことも多く、協力してくれる仲間を集めることに非常に苦労をしました。

私はその他にもボランティア活動として、震災復興ツアーに積極的に参加していました。しかし、もともと感受性の高い私は、被災者の方たちに寄り添うほど、過去の自分に姿を重ねてしまい、気がつけば病む寸前まで精神的に疲弊していました。

また国からの震災助成金の給付が終了し、金銭的にも精神的にも限界を感じた私は、自分が他にできることがないか模索しました。

その後、私は自らの意思で福島の母校の後輩に、大学で学んだPythonというデータ分析に優れたプログラミング言語の指導を毎週行いました。震災を経験した私自身、福島に対して恣意的な情報操作がされていると感じていたため、正しい情報を判断する技術を一人でも多くの人に身につけてもらいたいという思いがきっかけです。

私は誰かのためになるならと、自分を犠牲にする覚悟で様々な活動に励んできましたが、今後活動を継続するためにも、金銭的にも精神的にもより持続可能な方法はないかと考えるようにもなっていました。

丁度その頃、友人と「コワーキングスペースを作ろう」という話が盛り上がりました。友人と物件を探していたところ、知り合いのご意向で、仙台駅から徒歩1分の好立地を借りることができました。私たちは、このスペースをドロップイン1回1000円程で運営を開始。その他にもスペースの提供や、イベント開催などをしたこともあり、累計1000人以上の方に利用していただくことができました。

しかし、初めてのビジネスはそう簡単にはいきませんでした。実際には家賃の負担を考慮すると収益はほとんどゼロ。最終的には60万円の赤字でサービスを終了しました。初期投資が高くついたことが原因の一つでした。私はこの経験からどんな理想もお金がないと叶えることが出来ず、マネタイズをして仕組み作りをすることの重要性を学んだのです。

プログラミングで夢を切り開く

高校生へのPython指導や、ボランティア活動で団体のホームページ制作をしたことで、プログラミングへの関心がより強くなっていた私は、大学2年の後期からProgateという初心者向けの学習ツールで、HTML/CSS、PHP等の言語を学びました。しかし、Progateの中で順調にランクが積み上がっていくのとは対照的に、学習を何度繰り返しても、身についた実感が湧かないのです。原因はアウトプットの目標が無いことだと気づいた私は、実践経験を求めて企業のインターンに応募しました。

初めてのインターンで相談できるメンターのありがたさを実感

大学3年の夏、私は自社サービス企業仙台と東京の金融ITのインターンに応募し、幸い両方に合格しました。

最初に仙台のインターンに参加。実務未経験ながらも現役エンジニアが指導してくれました。他にも成果物の目標の作り方まで教えていただき、人に教えてもらえることのありがたさを実感。期間内に完成することが難しいといわれていた、アプリ作成まで達成することができました。

インターンで自信をつけた私は、Pythonでボランティア団体の紹介サイト兼情報発信を作ろうと考えました。

サイト自体は2週間で作ったものの、公開に手間がかかってしまい、1個のエラーで1か月かけても解決できず。元々公開のシステムが整っているPHPに切り替えたことで、最初のトライから3ヶ月後にようやく完成させることができました。このことから、相談できるメンターの必要性を再確認しました。

プログラミング学習から教育者に

ある日、知り合いに勧められたのをきっかけに、若くして教育など様々な事業をされている迫佑樹さんのYouTubeを見ました。元より私もプログラミング学習で苦労した経験を活かして、教育に携わりたいと考えていたので、迫さんを目標に活動の幅を広げていきたいと考えました。

そんな矢先、インターンでの開発実績が評価され、某高等学校のプログラミング講師を務めることになりました。企業での開発インターンも並行していたこともあり、寝ても起きてもプログラミングの生活。正直とても辛かったですが、半年も継続すると実力が身についてきている実感がありました。

教育に携わりたいという思いとプログラミングを学びたいという意欲が重なり、「プログラミング教育」という形で、自分の夢が実現しつつありました。

開業、そして教育事業を本格化

私はオンラインサロンなどのコミュニティにも参加し、プログラミングを学びたい人への指導を行いました。ちなみに指導料としてお金は頂いてはいましたが、時給換算するとたった125円。生活のことも考えると正直辛かったですが、実績を積むことが優先だった私にとっては、指導をさせてもらえることに感謝していました。何よりこの時の私は利益よりも、質の高い教育を提供することに夢中になっていたと思います。

その後も指導や教材作りを継続していたこともあり、遂に自身が主催するオンラインサロン「私立探求学園」を立ち上げ、個人事業として「クエストアカデミア」を設立しました。

それ以降はありがたいことに様々な仕事の依頼が来るようになりました。

そんなある日、遂に憧れの迫さんから、PHPの教材制作の依頼がきたのです。快諾した私は、卒論も重なっていたこともあり、毎日4時まで作業し、無事に「PHPHacks」をリリースすることができました。

また探究学園のサロン生も70名を突破。1年目のコミュニティで独立成功者4名、転職成功者16名と、受講生の方たちが次々に実績を上げてくれています。

福島での教育活動

現在、私は福島県の高校生にPythonによるデータ分析の授業をしています。エンジニアになって都内に出た今も、地元福島・東北の教育に携わりたいという夢は消えていません。何より私自身が、学習環境に苦労してきたからこそ、同じような立場にある一人でも多くの若い人たちをサポートしたいという思いが誰よりも強いです。

私立探求学園コミュニティの意義

私が私立探求学園を立ち上げたのは、単に教育の場を作りたかったからではありません。本気で自分の置かれた環境、そして人生を変えたいという夢がある人に、低価格で高品質な学習環境を提供したかったからです。そのため私立探求学園では、基礎から現場水準のスキルを一貫して身につけることができる環境を用意しています。
何より、同じ志を持った人同士でコミュニケーションを取りながら切磋琢磨できる場所こそが、私が理想とする最高の環境です。

探求学園で描くコミュニティの未来像

「プログラミングで楽して稼ぎたい。」

そう考えている人には、残念ながら私は価値提供することができません。

「本気で自分の人生を変えたい!」「同じ志を持った人たちと目標達成に向けて頑張りたい!」そんな一人ひとりの夢に私は寄り添っていきます。

なりたい自分を叶えてくれたエンジニアという職業

現在、私が誰かの夢を応援する活動ができているのは、エンジニアという職業のおかげです。私自身がプログラミングを通じて、「教育に携わる」という夢を実現し、今では私の受講生が、また別の人に教えるという理想的なコミュニティ環境が整いつつあります。本気で行動してきて良かったと思っています。

これからも私はプログラミング教育を通じて、挑戦する人の夢をサポートしていきたいと思います!

最後まで読んでいただきありがとうございました。あなたの声が私自身の挑戦のサポートになります。感想コメントを頂けると嬉しいです!